庵野秀明総監督の『シン・ゴジラ』を見た。劇場公開中は絶賛一色だったので冷静に見られそうになくパスしていたのだが、公開から約1年経ちそろそろ落ち着いてきたのでブルーレイで視聴した。
予想外の内容だった
正直言ってメチャクチャ地味でマニアックな映画だった。ネット上で絶賛の嵐だったので、迫力のある戦闘シーンやドラマチックな展開が見られると期待していたのだが…。
予想に反してえらく淡々とした展開だった。ゴジラはちょっと暴れたら海に帰ったり眠ったりで出番が少なく、最後はあっさりとほぼ一方的に倒される。
波乱もなにもなく、すんなりと作戦が成功して沈黙させられてしまうのだ。派手なシーンや手に汗握る展開を期待して見た人には拍子抜けだろう。
マニア・オタク受けする内容
その一方で、一部のマニアックな人間(オタクなど)にカルト的な人気を博すタイプの作品だと感じた。
万人受けする内容ではないので、オタクではない知人には勧めようとは思えない内容だった。逆にミリオタには勧めたい。兵器のシーンに凝っているのが素人目にも分かる。
こういう特殊な作品が流行ったのはネット、特にSNSをはじめとしたソーシャルメディアのおかげなのかなぁと思う。
『シン・ゴジラ』の流行り方
近年ありがちな流行のメカニズムが『シン・ゴジラ』にも見られそう。
まず、ある作品が一部のマニアックな人たちの間で熱烈に支持される。
この段階では局地的なブームでしかないのだが、その評判がソーシャルメディアで拡散されると状況が変わってくる。
マニアの熱のこもったコメントを見て「なんだか面白そうだ」と興味を持った一般層が作品を見に行って感想を発信。次第に知名度が上がっていき、共通の話題作りのために見る人が増えていく。普段映画を見に行かないライト層まで取り込めれば大ヒットになる。
『シン・ゴジラ』はSNSを頻繁に利用する比較的若い層にウケている印象。その中には歴代ゴジラシリーズに興味が無かったり見たことがない人も沢山いそうだ。
2017年冬アニメの『けものフレンズ』もこんな感じでヒットしたのだと思う(こっちは『シン・ゴジラ』ほどのブームでは無いけど)。「作品の良さを熱く、分かりやすく語るオタク」+「ソーシャルメディアの拡散力」の組み合わせは強力だ。
一部の狂信者が怖い
ブームになったものを無条件で肯定する流されやすい連中がいる。こういう奴らもブームを大きくするのに一役買っている。
しかしながら、「作品の良し悪しは二の次で流行っているから絶賛する」という連中は、本当に作品が好きなファンにとって迷惑である。他の作品を攻撃したりするし、ファンのイメージを悪くする。SNSから流行ることの弊害とも言える。
また不愉快なことに、掲示板やSNSで『シン・ゴジラ』に少しでも否定的なことを言うと狂信的なファン(信者)がやって来て発言者を袋叩きにするのだ。そういう光景を何度も目にした。
はっきり言って気持ちが悪い。好みが合わなかった人を非国民扱いし人格否定までするのは流石に異常だ。
オタク賛美映画かも?
『シン・ゴジラ』には、自衛隊礼賛や日本礼賛に取られかねないシーンがあり、批判的な意見があったようだ。しかし私は別に礼賛映画には感じられなかった。
過去の特撮や戦争映画にはもっと露骨なのがあるし、そういうのに比べればニュートラルで政治的な意味合いは少ないように思う。
それよりむしろ変人やオタクを賛美しているように見える。「目立たないけれど裏側で日本を支えているのは変人やオタクなんだぞ」というメッセージがあるように感じられた。
この映画で表に出て華々しく活躍するのは政治家や自衛隊員である。しかし彼らの活躍は裏方として凍結作戦を計画したマニアックな人間たちがいなければ成立しなかった。
自衛隊や米軍の通常兵器では歯が立たなかったゴジラを沈黙させられたのは、異端の学者たちのアイデアと奮闘のおかげである。
以上のことから『シン・ゴジラ』は、オタクである庵野監督によるオタク向けのオタク賛美映画という捉え方もできる。
怪獣映画というより会話劇
この映画を楽しめるかどうかは、全シーンの大半を占める政治家や官僚の会話劇を楽しめるかどうかにかかっている。
会話シーンがリアルだという声が多く聞かれたが、まったくそのようには思えなかった。専門用語や早口な話し方は再現しているのだろうが、リアルに近づけようとするあまり逆に嘘くさく作り物っぽくなっている。
実際の政治家や官僚が裏方でする会話を聞いたわけではない。それ故、リアルでないと言い切ることはできないのだが、なんとも言えない偽物っぽさ、わざとらしさを感じてしまう。
部分部分を取り上げればリアルなのだろうが、振る舞いがいかにも一般庶民が想像する「決められない政治家、官僚」という感じで苦笑いしてしまう。
本物の政治家、官僚は流石にここまでコテコテじゃないだろうとツッコミを入れたくなる程だ。
繰り返すが、この映画のメインはアクションではなく会話シーン。私は政治家や官僚の会話劇をあまり楽しいと思えなかったので、映画全体の評価もイマイチにならざるをえない。
また、庵野秀明氏が総監督・脚本なのでエヴァンゲリオンっぽいという感想を聞いていたが、音楽が使われてるくらいで別物。個人的にはエヴァのほうが何倍も楽しめた(エヴァはエヴァで嫌いな部分もあるが)。
表面的なものが大事
『シン・ゴジラ』は、政治的に左寄りのものから右寄りのものまで多種多様の解釈がなされている。原発批判だとか、平和ボケした日本人への警鐘だとか色々な意見がある。しかしそういう政治的なメッセージはこの映画に無いと思う。
エヴァの時と同じように意味のないモチーフを散りばめて、見た人に勝手に深読みさせる作りになっているように思うのだ。政治的主張に限らず伝えたいメッセージなど何もないのかもしれない。
表面的なものが全てなのだ。映像的な美しさ、とりとめのない会話そのものを見せたい。裏に何もなく、ただ見えるもの聞こえるものそれ自体を重視しているように感じる。
表面は非常に複雑だが中身は空洞である。空っぽだから見る人の思想が映し出され無限の考察が可能になる。
引いた目、冷めた視線
3.11の津波や原発事故を連想させるシーンを入れてはいるが、これも深読みさせるために散りばめられた表面的な要素の一つでしかないのではないかと思う。
この映画の製作者には震災が現実の出来事だという意識が希薄なように感じられる。描写が非常に傍観者的なのだ。震災をどこか別世界の出来事のように感じているのではないだろうか。
また、災害や日本社会に対する思いやメッセージといったものがほとんど感じ取れない。映画を引き立てるための素材でしかないのだ、災害も日本社会も。
『シン・ゴジラ』を作った人は現実世界ではなく空想の世界に生きていて、そっちのほうがリアルなんだろうなあと。現実こそ偽物でウソっぽいんだろうなと。だから震災に対しても日本社会に対しても冷めてるんだろう。
娯楽映画だから仕方ないと言われるかもしれないが、自分の国で起きた数年前の大災害をここまで他人事のようにフィクションの「素材」として扱えるのには違和感がある。
庵野秀明氏と『風立ちぬ』の二郎
話が飛ぶが、庵野氏が声優を務めた映画『風立ちぬ』(宮崎駿監督)の主人公二郎が思い出される。
二郎は美しいもの(飛行機、零戦)を設計することが無上の喜びで、それで人が死ぬことや戦争の勝ち負けに関しては少しも気に掛けない。美しいものを作ることが全てで、作った結果には意識が向かない人物として描かれている。
しかし、冷酷で性格の悪い人物というわけではない。子供のように純粋無垢で、本人に罪悪感は一切ない。ナチュラルに飛行機以外のことに関心を持てないのだ。一種の精神疾患のようなもので本人を責めても仕方のない部分がある。
全く根拠のない憶測だが、『風立ちぬ』の宮崎監督が庵野氏を声優に抜擢したのは、そのような二郎のイメージに重なる部分が多少なりともあったからかもしれないと思ってしまった。
注:あくまでも作品から受けた印象であり、庵野氏が実際にそのような人物だと言っている訳ではない。庵野氏を批判し人格攻撃するつもりなど一切ないと断っておく。
おわりに
『シン・ゴジラ』は大きなブームになり熱狂的なファンも多かった。それ故、エヴァのように派手なアクションがあり手に汗握る映画だろうと期待していたのだが、実際には地味でマニアックな内容。予想を裏切られた。
会話劇を楽しめなかったので個人的には微妙だったが、ユニークな内容でありきたりな映画とは一線を画しているとは思う。でも万人受けはしないだろうなと。
SNSが普及しオタクの熱気が簡単に拡散する現代だからこそブームになった映画なんだろうな。