1991年公開のアニメ映画『機動戦士ガンダムF91』を見た。富野由悠季監督作品。
初代ガンダムと同じ世界(宇宙世紀)が舞台だが、一年戦争から40年以上経過した時代の話。それまでのシリーズの登場人物は出ず、新しい主人公たちの物語になっている。
ガンダムは詳しい人が沢山いるので詳細な設定などは他を当たってください。筆者は数年前に初めてガンダムを見た「にわか」なので、そのつもりで読んでくれると嬉しいです。
尺の不足
結構面白かったけど明らかに尺が足りていない感じだった。展開が速すぎるし説明不足。本来はテレビシリーズにする予定だった企画が諸事情で一本の映画になったせいらしい。
そういう経緯を知らずに見ても違和感を持つと思う。一本の映画として見ると不自然な点が目に付く。
例えば約2時間の映画なのにやたらとキャラクターが多い。名前を覚える間もなく次々と出てくる。そしてあっさり死んだりする。
家族関係や人間関係は話を理解する上で重要なのだけど、把握する間もなくどんどん話が進んでしまう。一時停止して公式サイトのキャラ紹介を確認してやっと理解できた。
○外部リンク:キャラクター|『機動戦士ガンダムF91』公式サイト
最初から一本の映画にするつもりだったのならこんなに大勢のキャラクターは出さないと思う。
さらに、何の説明もなく唐突に連邦側に寝返っていたパイロットが、直後のシーンですぐ戦死する。展開が速すぎて何が何やら分からない。
TVシリーズなら寝返りの動機や連邦側へ来るまでの描写にもっと尺を割けたのだろう。しかし映画だと時間がないので端折りまくり。もはやギャグのようになっている。感情がついていかない。
主人公のシーブックも尺の都合でいきなり最強という感じに見えてしまう。TVシリーズならいくつもの戦いを経て少しずつ強くなっていく所が描けるけど、映画だと2時間でラスボスを倒す所まで行く必要があるので急激に強くなる。
ラストの鉄仮面との戦いもあっさり終わって見ている方がらしたら不完全燃焼。
また、固有名詞もたくさん出てくる。一回見ただけでは理解が困難な作品だと思った。
世界観の面白さ
世界観が面白い。『逆襲のシャア』の約30年後なんだけど相変わらず連邦は腐敗している。
『逆襲のシャア』のラストで希望を見せたのにやっぱり人類は変わらず愚かな行いを続けてるのね。この時点の富野監督はものすごくペシミスティックな人間観を持っている気がする。
まあ、ファーストと同じく続編が作られたせいで綺麗なエンディングが台無しになった感じはある。商業上の理由で続編を作るのは物語的には良くないね。
その腐敗に対する回答がコスモ貴族主義というのが興味深い。高貴な精神を持ったものが統治すべきだという。選民思想的なもの。シャアも以前愚民がどうのこうのと言ってた。その流れだろうな。
キャラクター
上ではキャラクターが多すぎと書いたけど、それにも関わらずみんな血が通っている感じがあった。これまでのガンダムでもそうだったけど、登場人物が物語を動かすためのコマではなく、それぞれしっかりとした意志を持って生きている感じが良い。
今回の主人公シーブックは年齢が高め。そしてメンヘラではない。母親とも和解するし親子関係そこまで悪くないじゃん。新しい感じがした。
主人公の妹リィズもなかなかいいね。小さいけど賢くて強い。精神年齢は見た目に反して非常に高い。母性まで感じさせる。これバブみかもしれん。バブみなんて言葉が無い頃なのにね。
脇役も個性があってよかったね、艦長代理とか。
富野ガンダムは人間ドラマがいいよなぁ。感情の機微が描かれている。
そのほかいろいろ
基本的な構造はファーストをなぞってる感じ。主人公のコロニーに敵が攻めて来る導入とか。民間人が船に乗って戦うとか。
鉄仮面のセリフから醸し出される小物感、ダメ男感が良い。
あと「質量を持った残像」の元ネタはこれだったのか。
おわりに
映画の尺では描ききれていないけど、背後には重厚な設定があるのだろうと感じられるのがいい。
TVシリーズで時間を掛けてやってくれたら名作になっていたかも知れないのに残念。もう30年経ってるし難しいのかな?
ただ、宇宙世紀の新たな100年を紡ぐプロジェクトをやるとサンライズが言ってるから、可能性はゼロではないか?『閃光のハサウェイ』も映像化されたし。
でも、富野監督以外が作るとテイストの違う作品になりそうなのがなんとも……。同じキャラクターや設定を使っても別物になると思う。
『UC』や『THE ORIGIN』も面白いんだけど、富野監督のガンダムとは全く味付けが違うんだよなぁ。