ブルーバックスとして出ている正高信男(著)『コミュ障 動物性を失った人類 正しく理解し能力を引き出す』の感想です。
丁寧に読み込んだわけではないので誤読している部分があるかもしれません。ご了承ください。
コミュ障の人は脳の人間的な機能に問題があると思われがちだけど、むしろ動物的機能に問題がある。原始的な動物的機能がうまく働かないがためにコミュニケーションに支障を来しているというのがこの本のテーマだと思います。
そして、見方によってはコミュ障の人というのはより進化した人類で、最も人間的であるとみなすこともできると書かれています。
定義の問題
この本の著者の言う「コミュ障」というのは定義が独特だと思いました。単にコミュニケーションに支障がある人のことではなく、ちょっと困った人を含んでいるようです。
著者の考える「コミュ障」は精神の障害とは別だとも書かれていましたが、どうも発達障害の人とかぶっている部分が大きいと思いました。
木を見て森を見ない、全体よりも部分にこだわるなんてもろに自閉症スペクトラム(旧アスペルガー症候群)の特徴ですし、あえて独自の「コミュ障」を定義する必要があるのかなと感じました。
自分の主張を一方的にまくし立てて周囲の意見には一切耳を貸さないとか、マイペース一つのことにのめり込むと周りの目が一切気にならなくなるのが「コミュ障」の特徴のように書かれていますが、これもある種の発達障害を持つ人の特徴と一致します。
コミュ障の人と会話するときは、表情や仕草に頼らずしっかり言葉にして伝えたほうがいいというのも、自閉症スペクトラムの人との会話法そのもの。
完全に憶測ですが、著者は発達障害という概念が好きじゃないのかもしれませんね。なんにでも発達障害のレッテルを貼る現代の風潮が気に入らないとかなのかな。
コミュ障への誤解を解く本
コミュ障に対する偏見や誤解を解くべく、様々なデータを挙げて擁護している所に好感が持てました。
コミュ障の人たちは決して人間性が劣っているわけではないのに、現代社会がコミュ障の人たちにとって生きにくい形になってしまったせいで、活躍の場を奪われている。
現代日本はコミュニケーション偏重、コミュ障が社会に出ると軋轢が生まれるのは必然。
コミュ障の人は感性が少数派なだけで、決して人の気持ちがわからないわけではない。コミュ障同士なら相手の気持を理解し合える。
多数派にとっては理解不能な感性だという理由で不当に攻撃されている。などなど。
同意すると同時に、このあたりも発達障害関連の本で読んだことに共通してるなと思いました。
この本によれば、昔からコミュ障的な人はいたけどそれなりに受け入れられていたようです。
一般人が気にもとめないような対象を熱心に研究する人はかつて〇〇博士と呼ばれ敬愛されていたけど、現代ではオタクと呼ばれ蔑まれるようになりました。
悲しいですね。そういう人が発見発明を生むのに軽視されるのは人類にとって損失。
コミュ力に頼らず生きていくのが困難な社会になり、行き場を失った人たちがひきこもり化せざるを得なくなったことなど、色々考えさせられました。
おわりに
読みやすいと同時に、色々考えさせられる本でした。
コミュ力がしきりに叫ばれ、発達障害が取り沙汰されるようになったのも、人間の側が変わったのではなく社会が変わったからなのだと再認識しました。
農林水産業中心の時代は、コミュ障であっても比較的適応しやすい社会だったようです。
サービス業が中心の現代社会がコミュ障にとって生きづらい社会というのは否定できないと思います。どうにかならないものでしょうかね。
農林水産業や製造業中心の社会に戻るというのは無理でしょうし、なかなか難しい問題ですね。
※あくまでも感想です。本の要約ではありません。誤解している部分があるかもしれないのでご了承ください。